平成25年3月20日水曜日

課題作文「私が日本で働く意味」


日本で働く意味
ホアイ
日本の医者の浅羽喜太郎とベトナム独立運動の指導者のファン・ボイ・チャウとの物語をきっかけに日本語を勉強している私は日本で働く夢を持つようになりました。
なぜその夢を持つか。理由が二つがあると思います。
まず、本気で「前向きに行く」という思いです。田舎出身の私は子供の頃から水田で農家の人々が毎日一所懸命働いた景色がよく見られ、農家の仕事がどんなに大変かが分かってきました。農家の人々はあまり機械を使わなくて天気によって収穫できるということで一所懸命頑張っても生活できない人もいます。私の田舎のような地方はまだまだ遅れていると気づきました。そして、「他の発展国に勉強して地方の発展に携わりたい」という思いで大学受験の勉強を頑張ってハノイ貿易大学の国際経済学部に合格しました。それで、田舎を離れてベトナムの首都のハノイに行きました。そこで、専門科目以外、外国語として日本語を勉強に選びました。大学時代、いつも、日本に行くという目標で日本語を頑張りました。その目標が実現するのは難しいですが、まだ若いので色々なことをチャレンジし前向きに行こうと思っています。本当に若いですから力と決意も強いのでそのことが難しいと言われてもとにかくやってみることの方がいいと思います。また、田舎にある家族・農家の人々は困ったと気づいて、皆に手伝ってあげたいと思います。そいうことで日本に就職したいです。
も一つ動力は日本人の先生と日本人の友達との約束でした。私は大学の一年生の時、貿易大学の日本語クラブ、それとも、ベトナム・日本学生会議という団体のメンバーになりました。日本語が専門でなく私は日本人と交流できて日本のこともだんだん興味を持つようになりました。日本人友達を離れた時、いつも、「ホアイちゃん、頑張ってね。また、日本で会いましょう」とか「さようなら」と言わないで「またね!」と言ってくれました。その時、「はい、頑張ります」と約束しました。また、親切で教えてくれた松本という先生と約束しました。先生は私の始めての日本語先生でした。先生はいつも、学生の夢をちゃんと聞いたり、応援したりします。

授業課題作文「日本は美しい」


日本は美しい

私にとって日本の美しさは日本の四季で表れる。
まず、日本の春の花を欠かせないのは桜だ。どの道で歩いても桜のピンク色を見られる。私は去年万博記念公園で花見をしに行った。寒かったが、桜の花びらがヒラヒラと舞い散るのはとても綺麗だった。
夏は暑いが、是非夏のお祭りや花火大会に参加してください。花火の可愛い形を見ることでわくわくとする。そして、水羊羹を食べてみて、すっきりとした気持ちがする。
日本の秋の紅葉は世界中で知られている。私は嵐山に紅葉を見に行った。真っ赤になっていた。湖の上に葉っぱの色も映した。
最後は、日本の冬だ。私の住んだところ、箕面市は高い山にあるので、冬になると雪が降っており、雪がどんどん積もってくる。とても面白くて、綺麗だ。地面が真っ白になり、雪を触ると冷たいはもちろんだが、ふわふわで、気持ちが良い。
日本の自然の景色は変化した美しさにある。
                               (ひまわり)
 

乙武洋匡著「ありがとう3組」について


              *「ありがとう3組」(講談社刊)は、当クラスの教科書の一冊である。

「ありがとう3組」は私の初めての読んだ日本の小説である。本当に感動した話だ。一番印象的なのは主な人物である赤尾先生だ。

 赤尾先生は特別な人間で、外見も、性格も他人と全然違う。松浦市が特例的に採用した教員として、両手両足のない体を持っている赤尾先生は松浦西小学校で理科や体育など赴任した。いつも電動車椅子で動くことができるが、不便なことは少ない。黒板に書くことも非常に難しいはずだ。そして、囲まれる子供たちに対しての態度も気をつけなければならない。まだ子供だからこそ、子供なりに対するの態度をとるのが大切だ。困難なことは様々だが、赤尾先生はいつも明るく、積極的な態度を取っている。どんな学生にも、落ち着く、優しい笑顔で扱う。特に、泰示の場合、赤尾先生は素晴らしい教え方がある。泰示は他の子供のようにうまくコミュニケーションが取れないので、気持ちが悪くなると、すぐに怒り、けんかしたそうに机や手に近い物を投げ、自分の怒りをコントロールことができない。泰示の姿を見たクラスメートは泰示に近づきたがらない。しかしだれも近づいてあげなかったら、泰示の自閉病は更に悪くなる恐れがある。だれよりも赤尾先生はこんな危機に気づいたので、教室で一人で噴火している泰示と残った。殴られても、赤尾先生は泰示の気持ちがよく分かる。泰示は他人に話しかけたい、皆のようににコミュニケーションしたいが、やり方は泣いたり、怒ったりするしかない。あのこはかわいそうだと思っている。赤尾先生は自分が危ないところに立つとおもわず、どうしても自分の教え子を守りたい。そのため、泰示を一人で見捨てずに、ずっとそばにいる。いつも笑顔で、優しくて赤尾先生は子供たちに好まれているだけでなく、彼らの本当の友達になった。

 この話を読んで、急に私は思い出したベトナム人のグエン・ゴック・キー先生。キー先生は赤尾先生のように体が不自由でも、温かい心をこもって、熱心的に学生たちに知識ばかりでなく人生の生き方も教えてあげた。赤尾先生やキー先生などのような人間は本当に素晴らしい人間で、尊敬できる先生です。

                              ひまわり

平成24年12月1日土曜日

盲目のコックさん


(いま、写真を調整中)

1979年に生まれた、カリフォルニア(California) のアメリカ人ベトナム系のクリスティーンハ(Christine Hà)は実際のテレビコンテストの三回のマスターシェフの勝者です。見えない人がマスターシェフのプログラムに参加したのは彼女が初めてです。
ご両親がベトナム人で、ヒューストン市(Houston)、テキサス(Texas)に構える前に、小さいごろにレークウッド(Lakewood)かつカリフォルニア(California)かつロングビーチ(Long Beach)に住んでいました。2001年にテキサス大学から金融と情報システム管理という専門を卒業しました。しかし、視力が悪かったので、就職できませんでした。その後、ヒューストン大学で小説の専門を博士課程で勉強ました。身免疫性の混乱を名前のNeuromyelitis opticaと呼ばれる病気のため、クリスティーンさんは1999年から19歳に視力が落ちていて、2007年からほとんどなくなりました。
「私のインスピレーションのコックのは14歳に亡くなった母のこそです」と話していました。調理器とか原料を知って置ければ、クリスティーンさんは料理を作れました。それで、嗅覚と味覚でお湯が沸く音や、じゅうじゅうの葫をあける音といったことの通り、料理が熟れるか知っていました。

マスターシェフのコンテストにはホームコックの三万人がおり、カリフォルニアでリーグ決勝に百人しか選ばれません。クリスティーンさんはほかのホームコックの19人を乗り越えて、勝ちました。
ホームコックだけであり、マスターシェフプログラムに参加した理由なのは、単に普通な人のようになんかできると証明したことです。「人間が夢に心いれば、本当にその夢が追究できると証明したいです」と話していました。それで、クリスティーンさんはメディアがヘロインとした人を呼ばれたときに、びっくりを感じていました。コンテストの中継の間に、クリスティーンさんは個人チャレンジとチームチャレンジを勝ったのが合計6回で、一番優秀なホームコックのトップに位置しました。しかし、危ないリーグに落ちたのが2回でした。
クリスティーンさんの恩賞を収めたのは250000アメリカドルと自分の料理を本に出版するという契約です。自薦ラウンドの料理はベトナム風の煮魚、タイ風のパパヤサラダ、あばら肉とご飯、貝いため、ココナツアイスクリムなどが魚ソースなどのベトナム風の香辛料を使って、ベトナム風とアジア風の味を濃く持っていました。それらの料理は栄養バナンスがあるし、完壁に作られたとほめられました。名高いシェフのゴードンラムゼイ(Gordon Ramsay)のコンテストの考査がクリスティーンさんが自分のベトナム根元に乗じたと言いました。
2012年9月10日に勝った時、クリスティーンさんは「自分自身が勝ったのを信じられない。私にとって、マスターシェフ(Master Chef)に受けられたのは一生忘れられない経験だ、私はすべての努力と幸運で、困難を乗り越えて、ほかのアメリカの最も優秀なシェフに勝つことができた。私が今優勝を持って立っているのはあらゆる夢が現実になる証明だ」と感激的に発表しました。
by  トトロ