平成24年11月20日火曜日

先生の日 11月20日


毎年11月末になると、冷たい風が吹き始めます。まだ12月の厳しい寒さほどではないが、うすらを感じて、大切な日を思わせるにはちょうどいい寒さです。それは11月20日で、ベトナムの先生の日です。この日が来ると、私はほんとうに心の底から温かさを感じます。それはいままで私に教えたあらゆる先生の感情にほかなりません。今年、新しい先生がいて、もっと温かく感じられます。阿部先生です。

日本で働く機会を探すため、阿部先生が教えているクラスに参加している。しかし、勉強中、日本についての知識を教えてくれるほかに、先生が学習者の私たちに親切にして、関心するという気持ちを感じられる。私にとって忘れない記念は10月末に東京へ来たことです。先生が私のところに来て、一緒に夕食をたべてくれて、感動させました。それに、先生は「日本語を学んでサムライになろう!」という本の作者です。ベトナム人やベトナムのことが本当に好きではない人であれば、書けない本だと思います。
           今日、ベトナム先生の日、あるいはベトナムで教えている先生の日の機会に、阿部先生が今後たくさん良い会社員を育成できるということをお祈りいたします。それは先生たちにとって一番幸せなことだとおもいます。  
                                                                                                                俊英(n・t・anh)

平成24年11月18日日曜日

ベトナムのファン・ボイ・チャウ


浅羽左喜太郎とファン・ボイ・チャウとの物語から
浅羽左喜太郎とファン・ボイ・チャウとの交流についてのドラマを聞いた事がありますか。それは百年前の日本の医者の浅羽左喜太郎とベトナム独立運動の指導者のファン・ボイ・チャウとの感動的な友情です。でも、時間が立つにつれて、その友情は次の世代で忘れられてしまっています。

二十世紀始め、ベトナムはフランス政府の厳しい圧制に民衆は苦しんでいました。そんな時代に、ベトナム独立への志をもったファン・ボイ・チャウはベトナムを離れて日本へ行きました。そして数年後、ファンは青年達の日本留学運動である東遊運動の指導者になりました。最盛期には、200名に及ぶベトナム青年が日本で学んでいたと言われます。しかし、日仏協約が結ばれ、フランス政府から強い要請を受けた日本政府は、1908年の秋、ベトナム留学生に解散命令を出しました。多くの留学生は帰国しましたが、残った青年達を抱えたファンはお金がなくて生活は困窮を極めていました。

頼るところの無くなったファンは、日本人医師の浅羽左喜太郎に手紙を書きました。浅羽先生は以前に道端で行き倒れになっていた同志のベトナム青年を助けて、その留学手続きや学費の支払いまでしてくれたのです。朝に送った手紙が夕方には返って来ました。手紙には、「手元のお金を集めてとりあえず送ります。今後必要があれば遠慮なくお申しください。出来るだけのことをします。」当時の小学校の校長月給は18円だったそうですが、1700円という大金が添えられていました。簡潔であるが温情のある手紙に、ファンは涙しました。

浅羽先生の援助金で帰国したファンは、その九年後の1918年にまた日本へ行きました。でも、残念なことに大恩ある浅羽先生はすでに亡くなってしまいました。大恩に感謝の気持ちを伝えるため、ファンは浅羽先生の墓の前に記念碑を建てようと決意しました。しかし、懐中には120円しかなかったので建設費用が足りなかったのです。東浅羽の村長はファンの意図を知って村民を集めて、「村の皆で協力して建てよう」と演説しました。結局、村の協力のおかげで記念碑は完成しました。今でもこの記念碑は静岡県の東浅羽村に残っています。

皆さんはこの素晴らしい友情の物語をどう考えるでしょうか。
実はファンの故郷にある私の高校はファン・ボイ・チャウ高校です。私は入学式で初めてこの物話を聞いてすごく感動しました。その時には日本はどんな国か分からなかったのですが、浅羽という名前は私の記憶に残りました。日本人はとても優しい印象を持ちました。今、大学で日本語を勉強しています。日本人と交流する機会も実現できて、この印象はずっと変わりません。

浅羽先生とファンのドラマは感動的な日越交流の一例です。昔と今を比べると色々なことが違いますが、良好な日越関係は時代に流されることはありません。現在、日本とベトナムの関係は極めて良好ですから、今後これをいかに発展させていくかが私たちの課題です。

百年前ベトナム独立の道を求めるためにファンのような青年達は日本へ留学しました。現代のベトナムの若者も、国の発展のために日本へ留学して新しい東遊運動を起こしています。私自身も日本への留学を望んでいます。しかし、まだ留学できない私でも日本とベトナムの友情のために貢献できることがあると思います。私は学生ですから、まずは日本語の勉強を頑張らなければなりません。貿易大学の日本語クラブに参加したり、日本語能力を高める目的でVJCCで仕事をしました。

私は将来の自分をイメージして日本語を勉強する目的を見つけました。日経企業で働きたいと考えています。大切なことは自分の決意、自分の行動だと思います。日本語を勉強している私たちはだれでも、強い想いがあれば日本とベトナムとの友情を深める仕事に貢献することができます。

浅羽左喜太郎とファン・ボイ・チャウの物語から日本とベトナムとの友情について私の決意をお話ししました。そして、このようにスピーチを通じて皆さんに訴えることもその友好発展に貢献する一つの具体的な例だと思います。  
by  ハノイ貿易大学四年生 ホアイ